phritz:自作エフェクトラックとMax for Liveデバイスが切り拓く実験的音作り
ダンスミュージックをはじめとする電子音楽にアコースティックな音を取り入れた有機的な音使いを特徴とするプロデューサー、Phritz。J-POPグループ『PAS TASTA』の一員としても知られる彼は、これまでに「FORM」や「bitbird」といった海外レーベルやコレクティブからのリリースを重ねてきたほか、Porter Robinsonの公式プレイリスト『cherished music』に楽曲が選出されるなど、そのプロデュースワークは世界の注目を集めています。
また、自然をモチーフとした温かく有機的なサウンドを特徴とする音楽ジャンル「Botanica」の提唱者としても知られており、自身の制作ノウハウを積極的にコミュニティとシェアし、Max for Liveデバイスの開発やサンプルパックの提供を通じて、多くのクリエイターに影響を与え続けています。
本インタビューでは、Ableton Liveとの出会いやBotanicaというジャンルが誕生した背景に加え、Granulator IIIを使ったサウンドデザインの実践、そして自ら開発したMax for Liveデバイスの活用方法など彼の制作技法の核心についても話をうかがいました。
まず、Liveを使い始めたきっかけを教えていただけますか?
phritz:元々DTMを始めた時はEDMを作りたくてLogic Proを使っていたんです。でも、音作りの面でLogic Proのワークフローが向いていないと感じることがあって。その時にネットの情報でトラックメイカーの間でLiveが使われていることを知ったんです。ちょうど大学の授業でDTM教室のようなものがあり、なんとなく使い方も知っていたので、思い切って乗り換えることにしました。
実際に使い始めていかがでしたか?
phritz:最初は独特のワークフローに慣れるのに時間がかかるかなと思ったのですが、使い始めてみたら本当に使いやすくて。特にエフェクトの一覧をデバイスウィンドウですぐ見れたり、マッピングができたりするのがすごく気に入っています。
例えば、Logic Proでは左のチャンネル部分に小さくプラグインが並んでいて、ひとつのパラメーターをいじるにもウィンドウを都度開かなきゃいけないんです。自分は結構せっかちなので、早く音をいじりたい。でも、そういったワンステップあることでなかなか思うように進んでいかない。それがLogic Proを使い続ける上でのジレンマになっていました。
マッピングに関しても、LiveはLFOでのモジュレーションがしやすいんです。Logic Proだとそれがすごくやりづらかったり、オートメーションが書きづらかったりしたのでそこが画期的でしたね。
他にLiveで気に入っている機能はありますか?
phritz:打ち込みやすいピアノロールですね。それとエフェクトラック機能もすごく気に入っています。ひとつのトラック内でチェーンを使って分岐させられるのが便利なんです。
例えば、ミックスをする時に[Mid/Side]でEQを分けたりできるところです。これはEQ Eightの中から切り替えてもできるんですが、自分のワークフロー的にはこの状態で分かれていると非常にやりやすいんです。あと、Reverbで[Dry/Wet]を分けてそれぞれ処理できるのもありがたいですね。
EQをM/Sで処理する用のラック。
「Botanica(ボタニカ)」という音楽ジャンルのコンセプトを提唱されましたが、その背景とサウンドの特徴を教えていただけますか?
phritz:最初に僕が言い始めたのはPorter Robinsonの『Nurture』というアルバムが2021年頃に出た後のことです。あのアルバムにインスパイアされた若いアーティストたちが、自然をモチーフとしたビジュアルや音楽、そして若干EDMの文脈も感じるような音楽を作っていたんです。でも、当時はそういった音楽をまとめるコミュニティはありませんでした。
例えば、SoundCloudに曲をアップすると、みんなが「Nurture vibes」という括りでコメントしていました。でも、クリエイターからすると「『Nurture』は好きだけど、別にそれだけじゃないしな」という感覚があって。だから「Nurture vibes」と言われるのが揶揄されているように感じたり、若干リスペクトを欠いているように受け取る人も周りにいました。
そんな中で、それに代わる呼称があればいいなと思って、"Botanica"というジャンル名を提案するツイートをしてみたんです。それと同時にあのアルバム自体、Porter Robinsonが2000年初期の日本のフォークトロニカ/エレクトロニカに影響を受けて作ったものだと思うので、そういうルーツの部分やそれ以前の音楽も含めて紹介する入口として、いろいろな曲を集めた「Botanica」というSpotifyプレイリストを作って公開しました。これがいわゆるBotanicaの始まりです。
phritzによる"Botanica"プレイリスト。
そうした背景からジャンルが誕生したんですね。
phritz:そうですね。そこからまた別の流れとして、Alexander Panosというアーティストが、もう少しグリッチでテクスチャーっぽい音と、オーガニックな音を掛け合わせるというコンセプトの『Nascent』というアルバムを2022年にリリースしたんです。でも、それは厳密には最初に僕が提唱したものとは少し異なる彼なりの解釈が多分に含まれたアルバムでした。
ただ、それにインスパイアされた若いアーティストたちが、今度は"Petalcore(ペタルコア)"というタグを付けて曲をSoundCloudに投稿し始めて。そういった音楽はビジュアルや様式美、自然をモチーフとしているという点では共通していたこともあって、いつしかBotanicaと合流して、「Petalcore/Botanica」というタグをつけるアーティストも出てきたんです。なので、現在のBotanicaは、二つの流れが合流して発展したものという感じです。とはいえ、割と複雑に発展していることもあって、現在の全容に関しては正直、自分でもあまり把握できていません。
Botanicaを作る上でベーシックな制作技法やツールを教えていただけますか?
phritz:少し前に流行っていたのはLiveに付属するグラニュラーシンセ・Granulator IIIを使った方法です。そこにピアノや声といったアコースティックな音を読み込んで、Positionのモジュレーションやオートメーションを書いたりすることで音をアグレッシブに加工していきます。
次にそれをオーディオ化し、さらにいろんなエフェクトを加えたり、スライスしたりというのが基本的な作り方ですね。
普段の制作で使用されているLiveの付属デバイスのみで組んだエフェクトラックのうち、特に効果的なものがあれば紹介していただけますか?
phritz:ふたつありますが、ひとつは毎回必ずと言っていいほど制作で使っている「Multiband sidechain」というエフェクトラックです。
これは「Multiband Dynamics」と「Compressor」のサイドチェインを組み合わせたものです。いわゆるサイドチェインというと、キックが鳴る時だけ音量が沈むというものですが、それを高域、中域、低域の3つの帯域ごとにかかり具合を調節するために組んだエフェクトラックですね。
具体的に言うとその帯域分けは、Multiband Dynamicsの[Solo]機能を使って三分割しています。その後、それぞれにCompressorでダッキングをかけているという形です。
どんな時にマルチバンドであることのメリットが発揮されるのですか?
phritz:例えば、サイドチェインを低域にだけかけて高域にはあまりかけたくない時ですね。エフェクトラックに作成した[Hi Ratio]や[Mid Ratio]というマクロを調整することで、高域はかかりが弱くて、中域はすごくかかりが強いという調整もできるので、すごく気に入っています。
このエフェクトラックのこだわりポイントを教えていただけますか?
phritz:例えば、キックにはパツッとした短いものもあれば、ブーンという長いものもあるし、要はサンプルによって音の長さが違いますよね。でも、僕はサイドチェインのReleaseの時間を割と厳密に設定したいタイプなんです。
なので、基本的にサイドチェインのトリガーにしたいキックなどのサンプルは、いつも「Drum Rack」というトラックに置いています。そして、このMIDIがその上の「Sidechain」というトラックに置いた別のトリガー用の短いクリックみたいなサンプルに対応しています。つまり、キックやスネアのトリガーのタイミングに合わせて、短いサンプルが鳴るようになっているのですが、これをサイドチェインのトリガーにすることで、すごく綺麗なダッキングが作れます。
このエフェクトラックでは[Release]というマクロを調節することで、一番気持ちいいサイドチェイン感を作れるようにしています。これは作るジャンルによって[Release]を調節したいことが多いことが理由ですが、こういう設定を設けることで非常に融通が利きます。
もうひとつのエフェクトラックは、どんなものですか?
phritz:PitchLoop89というデバイスを使ったBotanica的なエフェクトラックです。これは2000年初期の日本のフォークトロニカシーンで活躍されていたsoraさんの『re.sort』という名盤にインスパイアされたものですね。
どういった効果が得られるのでしょうか?
phritz:例えば、ただのサイン波のプラック音を鳴らしたとしても、このエフェクトラックを通すと『re.sort』に見られるような、劣化したデジタル感とピッチの不安定な揺らぎ、そしてグリッチノイズが複雑に絡み合った、機械的でありながらどこか有機的な音になります。
具体的にはReduxでビットクラッシュさせて、次にPitchLoop 89でディレイのピッチをモジュレートします。また、その際にはオクターブを下げるといったこともできますが、その後にBeat Repeatでグリッチ感や追加のピッチシフト効果を加えています。最後にAuto Panでステレオのモジュレーションをかけて、左右に音を振っているという感じです。
Max for Liveデバイスもご自身で開発されていますが、その中で特にユーザーから人気のあるものを紹介していただけますか?
phritz:これまでにいろいろなものを開発していますが、その中からふたつ紹介します。ひとつ目は「Sequence on Trigger 16」というMIDIシーケンサーです。さっき話に出たGranulator IIIにはスライスモードが搭載されていないので、Simplerのスライスモードのように擬似的にスライスをシーケンスできるように開発しました。
これはLiveの「LFO」デバイスを改変したもので、LFOのマッピングをGranulator IIIの[Position]に設定することで、MIDIが入力されるとワンステップ進むという仕様になっています。再生と同期する従来のLiveのシーケンサーとは異なる動作ですね。
どのように活用できるのでしょうか?
phritz:例えば、Botanicaは、グリッチなど実験的な音作りの側面が大きいと思うんです。そういった音作りのためにこのデバイスにはランダマイズ機能を設けているので、ランダムに擬似的にスライスした音をシーケンスすることが可能です。そうして作った音をリサンプリングし、素材としてどこかに保管しておく。そして、曲を作る時にそれを引っ張り出してきて、再度Granulator IIIに読み込み、このデバイスでスライスすればまた別の音素材を作ることができます。
あと、オーディオエフェクトにもかけられるので、Reverbの[Dry/Wet]にマッピングするなど、より実験的なアプローチをしたい時にも重宝しています。
サウンドデザイン好きにはたまらないデバイスですね。
phritz:そうですね。特にサウンドデザイン好きの方々からは「いつも使っています」とお声がけいただくことが多いですね。ただし、作曲時やアレンジメント時に使うと若干挙動が使いづらいんです。通常のMIDIシーケンスをする時は、DAWと同期する従来のLiveのシーケンサーを使うので、このデバイスはあくまでサウンドデザインに特化したものという位置づけですね。
ちなみにもっとスライスをランダマイズしたい場合は、MIDIが入力されるたびにランダムな数値を出力する『Random on Trigger』という別のデバイスと併用しています。これは一般公開版だけでなく、ファン向け支援サイト・Patreonの有料会員向けにアップデート版も配布しています。
もうひとつのMax for Liveデバイスはどのようなものですか?
phritz:『shoal』というオーディオエフェクトです。これはFairfield Circuitryというメーカーのローパスフィルターとエンベロープフォロワーが一体化した「Shallow Water」というギターペダルをMax/MSP内で再現したデバイスですね。
『Shallow Water』と同じく、ピッチの揺らぎとローパスフィルターを掛け合わせたLo-Fiサウンドを作れるのですが、実機にはないディストーション機能なども付属しています。海外のYouTuberが紹介してくれたおかげで、Lo-Fiサウンドを志向する方々の間では人気があります。特にピアノの音にかけると効果がわかりやすいですね。
先ほどの話にもありましたが、Patreonの有料会員向けにエフェクトラックやプロジェクトファイル、チュートリアルなどを配布されているほか、Spliceでサンプルパックも提供されています。これらの中でPhritzさんスタイルの音作りに挑戦したい人に特におすすめのものがあれば教えていただけますか?
phritz:本音を言えば全部おすすめしたいのですが、用途や制作スキルによって変わってくると思います。
例えば、自分で最初から音作りをしたいという人は、Patreonに入っていただいて、音作りの部分を参考にしつつ、先ほどご紹介した『Sequence on Trigger』や『shoal』といったデバイスを使って、自分でサンプルを作るという形がいいと思います。
一方で、音作りまではできないけどBotanicaっぽいサウンドを取り入れてみたいという方は、Spliceのサンプルを使っていただくのがいいと思います。あとは合わせ技として、SpliceのサンプルをさっきのMax for LiveデバイスとGranulator IIIを使って、さらに加工した自分のサンプルを作るということもできます。
それとプロジェクトファイルもおすすめです。Liveユーザー限定ですが、今までリリースした曲を丸々見れる内容になっているので、僕のアレンジの仕方なども確認していただけます。
制作テクニックやデバイス、プロジェクトファイルといったご自身のリソースをコミュニティにシェアする理由や意図を教えていただけますか?
phritz:僕自身もLiveを使い始めた時に、TennysonやMr. Billといったアーティストのライブストリームや公開されていたプロジェクトファイルを見たことで、制作スキルが一気に上達した経験があります。
そういったコンテンツにすごく助けられた経験があるからこそ、変に出し惜しみするよりは、自分もリソースをシェアすることで誰かの役に立ちたいという気持ちがあります。そして、それがちょっとした収入にもなればいいかなという思いもありますね(笑)
今回ご提供いただけるダウンロードコンテンツのご紹介をお願いします。
phritz:先ほどご紹介した『Sequence on Trigger』と『shoal』の2つです。『shoal』はすでにパブリックで公開していますが、今回は合わせてダウンロードできるようにしました。