Learn about different artists and how they're using Live.

Jan Nemecek: 持続的な進化のために

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Jan Nemecek: 持続的な進化のために

Jan at Resonate Festival, Belgrade 紛争によって傷を負った社会では、あらゆる側面において、過去からの悪影響を受けずに未来を構築することが困難です。セルビアのような、命のはかなさとコミュニティの破壊がまだ記憶に新しい国では、クリエイティブな実践はより深い意味を持ちます。一部のアーティストにとっては、継続するというだけでなく、進化を続けることが社会の進歩と歩調を合わせる上で必須条件となっているのです。 Jan Nemečekはそんなアーティストの一人。プロデューサー、サウンド・デザイナー、インスタレーション・アーティストとしての功績により、彼はセルビアの実験音楽の先駆者とされています。彼の最新アルバムである『Fragmented』は、音の粒子を再構築することで、それ以上の大きな全体を作り上げようと試みた作品です。Janは、セルビアのシーンについての考えや、シンプルなエフェクトを実験的に使用する方法を語ってくれた上に、みなさんにも試してもらえるよう彼自身のエフェクト・ラックを提供してくれました。 セルビアで実験音楽家として活動することがどんなことか、その実態を少し話してもらえますか? ここにはシーンと呼べるものはほとんど存在していません。実は同じ音楽を作っていても、それぞれの集団やレーベルが勝手に活動しているだけでまとまりがないからです。そういう意味でとても奇妙なところです。そして現時点では、90%の人たちがハウスを作ろうとしています。それが一番流行っている音楽なので、みんながそれに引き寄せられてしまっていますね。でも、誰も結束していない。もう何年もそういう状態が続いています。何年か前はテクノが流行っていたので、みんながそれを作って小さなプロダクション・チームを作っていました。コミュニティ内の異なる人々による相互作用が本格的に起こったことはありません。 なぜそんなにバラバラになってしまっているのでしょう? ここの人たちと、そのメンタリティのせいだと思います。みんなが一丸となって何かを成し遂げたかと思えば、次の日にはもうお互いにケンカしたり口をきかなくなったりしてしまう。僕はそういうところからは、なるべく離れるようにしてきました。僕は、「昨日の味方は今日の敵」というような考えには同意できないからです。これは音楽にも表れていると思います。現在誰もが、私たちの歴史や文化的背景に関連性のないハウス・スタイルの音楽を作っていることも、僕には受け入れられません。 基本的に、私たちはジャンルの枠に捕われています。実験的音楽を発表する場所はほとんどありません。一年ほど前までは、ほんの少しの実験性がある音楽さえも実践している集団はいませんでした。聴衆についても同じです。より試験的なサウンドを聴くのに慣れるには時間がかかりました。 Jan performing live at Resonate Festival, Belgrade この数ヶ月間、90年代のベオグラードやセルビアのエレクトロニック・ミュージックの進歩についての記事が立て続けに公開されています。これに対する、実際にそこで音楽を作っているあなたの反応は?これらはあなたにとって何か意味のあることですか? 「90年代のセルビア・クラビング」というのは、既に長い間メディアが好んで取り上げて来た題材です。特に海外の雑誌はこれについて書くのが好きですね、いい話だからです。戦争で引き裂かれ、戦犯がはびこる地域で、世界から隔離されながらもテクノのレコードを買い続けていた... 外国の人たちにとってはロマンティックで魅惑的な物語です。 僕自身はあまり... これを誇りに思ってはいませんが、若い世代のシーンがこれだけ注目を集めていることには驚いています。Resonateのようなフェスティバルのおかげで、若いアーティストたちが積極的に取り上げられています。『Dazed and Confused』誌が、セルビアのフットワーク・シーンについて書いているくらいです。面白いのは、フットワークがここで人気を集めるようになったのは過去1〜2年のことですが、ここで流行った音楽の中では最も独特で新鮮なサウンドです。その勢いは、僕が自分のレコードを完成させ、やりたいことをやり続ける原動力にもなりました。彼ら、こちらのTeklifeのクルーとは個人的にも仲のいい友達で、とてもサポートしてくれています。 でも古いシーンの人たち、つまりみんなが雑誌で読むテクノ・クラウドには、このことが受け入れられないようです。「俺たちよりもこのキッズたちの方が人気があるとはどういうことだ?」と疑問を持つ。地元ではちょっとした抗争になっているんです。年上のテクノ系の人が、ポスターで自分の名前よりもTeklifeの表記が大きかったと文句を言って。まだこうしたメンタリティに凝り固まっている人が多いので、小さな変化でも驚くべきことです。でもメディアからの注目のおかげで、みんなが本当に自分のやりたいことをやっても国際的に認めてもらえることが出来ると信じるようになりました。代わり映えしない四つ打ちばかりを作り続けなくてもよくなった。 Preparing to perform the Line of Sight installation at Resonate Festival 今年のResonate Festivalで公開されたインスタレーション、「Line of Sight」にはどのように関わっているのですか?Liveを使って、照明装置を直接操作していたように見えましたが。 僕たちはLiveを、このインスタレーションのタイムラインとして使用しました。僕は多数のMax for LiveとAbletonのパッチ・チェーンを用意し、セミ・ランダムなMIDIメッセージを送っていました。僕たちはAbletonから操作信号を送る、生成的なセットアップを構築しました。僕はMax for Liveの、Liveのパラメータを何でも照明のシグナルにマッピング出来るユーティリティ・パッチを使って照明を操作しました。つまり、例えば、フィルター・カットオフと照明の強度を関連づけることが出来るんです。でもそのほとんどがランダマイズされていました。プリセットされていたものはほとんどありません。全ての値、音符、タイミングは、毎回プレイする度に変わりました。ですから、僕たちがインスタレーションを「演奏」する度に、全く異なる内容になりました。 あなたのサウンド・パレットにある音源は、すっかりモジュレートされて原型を留めていないものばかりのようですが... この1〜2年ほど、僕はサンプルを元の音色が全く分からないほどディストーションとモジュレーションをかけるのが病みつきになっているんです。前のアルバムでは、多くのアカペラのカットアップを使用しましたが、まだ言葉が聴き取れる程度でした。今回は、もっととことんやっています。音楽というのは、聴く人それぞれに主観的な感想を持ちますよね?この考えが、僕を最も微細なサウンドや要素、コード進行に執着させるようになりました。僕は、音楽のミクロな要素にフォーカスするようになったんです。サウンドの粒子をモジュレートし、別のものに変化させる。半分以上の曲には、オリジナルのサンプルが含まれていません。オリジナルの音源は、女性がアコースティック・ギターをマイクで録音したものなどです。シンクされていない拍子や変な自然の環境音をリミックスする方が、よほどやりがいがありますからね。...

次のブラジル:リオとサンパウロの新たな音楽

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次のブラジル:リオとサンパウロの新たな音楽

Abletonのホームタウンであるベルリンでは、花火、歓声、祝杯の響きが通りに響き渡っています。ドイツが勝利の喜びに浸っているうちに、ワールドカップ2014開催国ブラジルに関連したシリーズ記事の最終回をお届けします。ブラジル音楽の歴史を紐解く記事、ブラジル音楽界の長老の一人ドゥドゥ・マローテのインタビューに続く今回は、Christinane Kakaireによる、プロデューサー・シーン最前線と21世紀のブラジルで音楽を情熱の対象とすることについてを考察する記事をお送りします。 上向きの経済、熱帯性の気候、カーニバル文化は、ブラジルを資金力のあるダンス・ミュージック業界になじみの良い環境にしています。「エコノミスト」と「フォーブス」の両誌は近年このテーマを特集し、毎年開催されるRio Music Conferenceの成長見通しとバルネアーリオ・カンボリウーのビーチ・リゾートとしての人気の高まりに数万~数百万ドルにも上る価値を付けるほどになっています。「ブラジルのイビザ」としても知られるこのエリアでは、WarungやGreen Valleyといった有名クラブにお祭り好きが集まり、VIPルームやボトル・サービスといったサービス提供が観光客だけでなく急速に拡大する中産階級層にも人気を博しつつあります。 ビッグ・ルームDJ文化はブラジルのナイトライフに確固とした基盤を築いていますが、その一方で、より複雑なストーリーが浮かび上がりつつあります。ブラジルのDIYエレクトロニック・ミュージックの輩出量は、チリ、メキシコ、アルゼンチンといった隣国のそれに匹敵するものです。不均衡、アクセシビリティの不存在、ブラジル音楽の歴史の重荷、現代のブラジルにおいて音楽で生計を立てるのに不可避な妥協といったテーマに取り組んでいるブラジル最注目の新進3組は、プロデューサーの視点からそれぞれの考察を語っています。 Carrot Green Carrot Green Carlos Gualdaはリオデジャネイロで注目を集めるプロデューサーのひとりですが、彼のキャリアを決定づけた2つの出来事は、どちらも彼を国外へと連れ出すものでした。まず1つ目は、大学を中退してロンドンで3年間にわたるオーディオ制作コース受講を選択したこと、そして2つ目は、ニューヨーク市で開催されたRed Bull Music Academy 2013に参加したことです。後者は、Molotov21レーベルからCarrot Green名義でリリースしたディスコの影響を感じさせる作品として昇華され、前者は、Gualdaが故郷リオのリソースに乏しい状況に大きな失意を感じるきっかけとなりました。「今はブラジルでもいくつかのコースが開講されていますが、特にこれといったものがありません。私が求めていたのは、音楽というものをしっかりと理解することでした。マイクについて、空気中での音の伝わり方について、また基本的な知識からシンセシスまで、音楽に関する事柄すべてをカバーするコースはひとつもありませんでした。当時、私にはレコーディングやシーケンスに関する知識がまったくありませんでした。イギリスに行って、こういった処理を自分で行っている人がたくさんいることを知りました。ロンドンですべてをまんべんなく理解することができ、より真剣に制作や個人的なプロジェクトに取り組むようになりました」 Carrot Green - “Itajam” ブラジルへの帰還後、Carrot Greenは、プロダクションを学ぶオンライン・チュートリアルに簡単にアクセスできることが、ベッドルーム・プロデューサーたちに影響を与え始めていることを実感します。よりハードウェアを多用したプロダクションで評価の高い彼は、DJギグの経験を重ね、商業に大きく偏ったリオのナイトライフ事情に批判的な評価を下し、その動きを止めることなく、次に打つ手に狙いを付けています。「サンパウロでもかなりの数をプレイしているのですが、この2つの都市を比べると、リオはずっと遅れています。「パーティはほとんどが"ディープ・ハウス"。でもオールド・スクールではありません。リオ独特の形態というものがあるんです」サンパウロへの移住を目前に控え、Gualdaは、ここ数年積み重ねてきたこの勢いを継続させる構えです。「世界中のさまざまな場所にいるたくさんの人々がコンタクトする時代になりました。より多くの人々が私の音楽を知ってくれるようになったのはすばらしいことです」 40% Foda / Maneirissimo Lucas de PaivaとGabriel Guerraは、数年前にプロダクション/レコーディング・スタジオで出会い、Guerraの友人でアーティストのCarmen Alvesと共にトリオを結成し、その後ほどなくして個性を発揮するようになります。2013年の初リリース(「Various Artists」サンプラー)から9枚目となる最新作(Guerrinha名義のEP「Educação Bentes」)まで、個性豊かな面々が印象的なこのレーベルですが、実はリリースのほとんどが主にレーベル・オーナー自身の作品となっています。その奇抜でローファイなクオリティと一風変わったフィルターを通したビンテージ・サウンドへの関心で、このレーベルはニューヨークのL.I.E.S.やオスロのSex Tags Maniaにもなぞらえられます。彼らが採る販売手法(パーソナライズされたCD-R)に加えて、これらすべては着実に集まりつつある彼らのカルト的人気の要因となっています。 40% Foda/Maneirissimo's debut release - 40FM001 リオを中心に活動するDe Paivaは、リオのナイトライフに関するCarrot Greenの意見に同調します。「ハードウェア・ジャムや、他とは違ったエレクトロニック・ミュージックを熱望する人々がいれば、ライブを開催するのも、クラブのブッキングにも問題はないはずです。しかし、ギグの多くは盛況とは言えません。ほとんどの人は、音楽の趣味とは関係ない部分で参加するパーティを選んでいます。これはソーシャル・ゲームなんです」De Paivaはまた、これまでのブラジルの音楽に固執するようにも見受けられる一般的な思考傾向の現在への影響の可能性も示唆しており、これについてGuerraはこう述べています。「かつてのヒーローたちはここでは単なる崇拝の対象ではなく、組織のようなものなのです。私たちはまったく異なるコンテキストで活動していますが、あたかも彼らの影響下にいるように感じられることがあります。これまでのブラジルのポピュラー音楽には、一般的なリスナーの感性を刺激するような余裕がありませんでした。エレクトロニック・ミュージックは論外です。私たちは、さまざまな要素を取り込んだ寄せ集め的な作品からすばらしいメッセージを得ることができると考えていますが、それには、未知のものを聞き入れようとするリスナーの態勢が整っていることが必要です。これまでのブラジル・ポピュラー音楽は、同じ音楽を別の意味で考えるという視点を提供してきませんでした」 ブラジルの経済的成長に関しても、彼らは、オンライン・テクノロジーの持つ民主的なパワーにをよそに、ブラジル社会の一部の過小評価を継続する硬直した社会構造が存在しているとの認識を示しています。その例として、彼らが属する結びつきの強いネットワーク(「白人中産階級」)と、裕福とは言えない地域出身の同業者の間にある分断を挙げています。これについて、Guerraはこう話しています。「ホシーニャ(Rocinha)の近くに住んでいます。ホシーニャはリオ最大のファヴェーラ(スラム)で、バイレファンキが盛んですが、ホシーニャ出身のバイレファンキ・プロデューサーで知っているのはわずか2人ほどです。これは私が不精なのではなく、社会の分断がまだまだ強く残っていることの証拠です。これは音楽やその他の芸術が対処できる範疇を大きく超えています。インターネットは、多くの人々が吹聴するような革命的な技術ではなく、単なる手段でしかないのです」 "Guerrinha -...

Rondenion: あたり前の情景に隠れて

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Rondenion: あたり前の情景に隠れて

Rondenionとして知られるHirofumi Gotoは、まだ謎の多い日本人プロデューサーです。2013年に初のアルバム『Luster Grand Hotel』を発表した頃から、少しずつ取材を受け始めましたが、それまで10年近くのキャリアがありながらも人前でのパフォーマンスやメディア露出はほとんどないまま、シカゴのStill Music、オランダのRush Hour、ドイツのYoreなどから発表したアナログの12インチを中心とした作品で、国内外のダンス・フロアを彩り、DJたちから評価を得てきました。彼が日本人であるということを知らないリスナーも、まだたくさんいるのではないでしょうか。 そのサウンドは、ラフな質感とソウルフルなグルーヴを併せ持った、MoodymannやTheo Parrishを彷彿とさせるディープ・ハウス。実は、意外にもJ-Popバンドを通してダンス・ミュージックに出会い、クラシックの音楽教育を受けてきたというバックグラウンドを持っています。現在はホームタウンである三重県を拠点に活動しているRondenionに、浅沼優子がその制作アプローチやインスピレーションについて東京で話を聞きました。 Rondenion - “Luster Grand Hotel” もともと正式なクラシック音楽の教育を受けていらっしゃるんですよね? そうですね。中学生のときからブラスバンド部に入っていて、ピアニストでもある顧問の先生に「君は音楽の才能がある。君には繊細なものを感じるので、サックスをやりなさい」と言われたんです。それで騙されたつもりでサックス専攻で、音楽高校に進学しました。 実際に専門的に学んでみて、手応えはどうだったんですか? 正直に言うと、少し自分の求めていたものとは違うと思いました。実は、僕の音楽的初期衝動は、幼少のときに聴いたTM Networkなんです。それで初めてシンセ・サウンドに触れて音楽を面白いと思ったので、単旋律を演奏することよりも、楽曲全体を作りたいという気持ちがあった。 中学校のブラスバンド部の友達にエレクトーンをやっている子がいたのと、顧問の先生もシンセサイザーを使う人で、学校にYamaha SY 85が置いてあったんです。それに触れてみたところ、「僕がやりたかったのはこれだよ!」と思って。使い方を教えてもらいました。その友達とバンドを始めて、だんだんとサックスに対する興味は薄れていきました。でも、僕が住んでいた三重県では、まだサックスが上手い方だったので、サックス専攻で東京の音楽大学にも進学するんですが、自分で曲を作る方に興味が移っていましたね。あとはデモテープを作って、レーベルに送っていました。その数ヶ月後にFrogman Recordsからリリースが決まりました。 Texhnolyze Soundtrack - “Spleen” (Hirofumi Goto Mix) この頃は何を使って曲を作っていたんですか? YamahaのA3000というサンプラー、KORGのD8というMTRを主に使っていました。サンプル・ベースの曲作りです。自分で演奏したものと、他のソースからのサンプルと、両方を使っていました。 TM Networkというと、シンセ・ポップのグループですが、どうしてそのようないわばヒップホップ的な手法を採るようになったんですか? 確かにTM Networkはポップスなんですが、その後期はいわゆる四つ打ちのダンス・ビートになっていったんですよ。それがダンス・ミュージックに興味を持ったきっかけではありましたが、同じ頃808 Stateとか、あとYMOのダンス・リミックス盤が出ていて、ハウス/テクノを知りました。しばらくは打ち込みでそういうトラックを作ったりもしていたんですが、その後ヒップホップを聴いて、「これどうやって作っているんだろう?」という風にサンプリング・ミュージックに出会ったんです。確かに、打ち込みだけではこの感じは出ないもんな、と分かった。それで、やっと自分のやりたいと思っていた音楽が作れるようになりました。 初期のHirofumi Gotoという本名から、Rondenionという名義に変えてシカゴのStill MusicからEPをリリースされていますよね。名義を変えたこと、海外のレーベルにアプローチしたことにはどんな理由があるんですか? 当時Frogmanは規模が縮小していて、かといって他に日本には他にあまりレーベルがなかった。必然的に海外へ目を向けざるを得なかったんです。それに、ハウス・ミュージックの世界でいうと、日本のレーベルから発信してスターになっている人はほぼいない。ですから、自分が気になっていたいくつかのレーベルにデモを送りました。 海外でのリリースだと、自分の目では見えないのでインターネットで検索出来ないとマズイと思って新しい名義を考えました。Hirofumi Gotoだと、どこかの会社の社長とか出て来ちゃうんで(笑)、インターネット上で自分の動きが追える名前にしようと思って。Rondenionで検索したら、一件もヒットしなかったんです。これが2003年頃ですけど、Rondenionという名前を決めてからは、対象はもう海外のレーベルに絞っていましたね。 Rondenion - “Shake Dance” 名前からでは日本人だということすら分かりません。レコードが逆輸入されて日本でも人気が出たと言えますよね? 日本でも日本人だということは知られていなかったですから。音を聴いても多分分からないですし。それも面白いと思っていました。日本では、日本人だと聴いてもらえないところがあるんです。レコード屋でも、「日本人コーナー」に入れられてしまう。それが嫌だった。だから、日本人だと分からない名前にした方がいいだろうという狙いもありました。 私は今もサンプラー中心に曲作りをしているのかと思っていたんですが、実はほとんどソフトウエアで作っているというのを聞いて、それも驚きました。現在のスタジオ・セッティングを教えてもらえますか? LiveとCubaseの併用ですね。まずLiveを使ってラフなループをまとめます。それでいいビートが出来上がったら、全体の構成を組むのにCubaseに移すというのが今の基本的なやり方ですね。Liveだけで作ることもありますけど。何かCubase特有の機能を使っているというわけではく、編集が楽だというだけですね。...

ドゥドゥ・マローテ – 文化的な「共食い」

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ドゥドゥ・マローテ – 文化的な「共食い」

ブラジルにフォーカスを当てたシリーズ記事が先週から始まりました。前回の記事 では、ここ数十年のブラジル音楽の歴史からAbletonが発掘した作品やアーティストをいくつかご紹介しました。ブラジルのプロデューサー集団についての次回記事 の前に、マーク・スミスによる、ブラジルのポピュラー音楽の現在と過去を結ぶある人物にインタビューをお届けします。 マローテとOberheim Matrix-12(1986年) 2億を超える人口にもかかわらず、ブラジルの音楽シーンはブラジル国内にとどまっています。80年代、90年代といったインターネット以前の時代に、エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーたちは、強い地元志向で制作を行ってきました。彼らの音楽には、ハウス、ダンスホール、ジャングルといった世界的なジャンルの面影を聞くことができますが、こういったスタイルはもっぱら素材として使用されるのみであり、再構築され、それとは分からない作品へと昇華されています。ブラジル人による、ブラジル人のための音楽です。 これは偶然ではありません。シーンの根底には、国際的な影響と地域文化のニーズの間の点をつなぎ、ブラジルのエレクトロニック・ミュージック革命を形作ってきた人々の存在があります。ドゥドゥ・マローテはそのひとりです。マローテは、ブラジルのエレクトロニック・ミュージック・シーンの最先端を20年以上にわたって進んできました。ボサノヴァのドラムンベースとの融合、ダンスホールのポップ・ミュージックへの取り込みなど、マローテは、現在のブラジル音楽形成のカギとなる変革を支えるブレーンとして現在も活躍しています。Abletonは、彼のキャリアにおけるさまざまな出来事、インスピレーションを失わない制作テクニックについて彼に話を聞きました。 ブラジル初のヒップホップ・アルバムをプロデュースしたという功績をお持ちですが、音楽制作というコンテキストにおいて、キャリアをスタートさせた当初のブラジルはどのような状況でしたか? 私は生まれも育ちもサンパウロです。巨大で、複雑な都市です。都市部は人口2千万人を越え、スケールでいえば中国やインドネシアの都市と同じくらいです。とにかく巨大で、ごちゃごちゃしています。でも同時にすごくワクワクする街でもあります。サンパウロでは連夜パーティーが開催されていますし、いろんなことが起こり、あらゆる種類の音楽が流れています。サンパウロで生まれ、それからずっとここに住んでいます。80年代にミュージシャンとしての活動を始めました。現在は48歳です。1980年、15歳のときに初めてシンセを手に入れました。それがYamaha CS 5で、メモリが内蔵されていなかったんです。なので、オシレーター、フィルター、モジュレーターらすべてについて学ぶ必要がありました。15歳のときです。音楽プロデューサーとしての活動を開始したとき、初のブラジリアン・ヒップホップのアルバムをプロデュースしました。だから、そうですね。あれがブラジル初のヒップホップ・アルバムでした。非常に素朴なものでした。1989年当時の状況を反映させたものでした。当時、ブラジルではMTVも放送されていなかったんです。放送開始は1990年でした。もちろんインターネットもありません。なので、Run-DMC、パブリック・エネミーなどをわずかに知りながら、それらをブラジルの現実に反映させていったわけです。その頃は、Atari ST、Notator、あとはかなりの数のサンプラーを使用していました。 マローテのスタジオ・コレクション(1987年) そしてこれが、ブラジル初のダンス・ミュージック・アルバムと呼ばれる作品のプロデュースにつながりました。Que Fim Levou Robinというバンドです。テクノトロニックとブラジリアン・ファイヤーをミックスしたような感じですが、歌詞はポルトガル語で非常に押しが強く、このバンドは90年代にまだ根強かったゲイ・シーンへの偏見の払拭に貢献しました。 キャリアをスタートさせた当初から、あなたの活動は音楽制作以外に広がっていたとお聞きしましたが。 当時私はローランドと仕事をしていました。ですので、D50のような新作キーボードやサンプラーすべてに触れることができました。S-760とS-770のリリース時に、ローランドはブラジリアン・ライブラリをいくつか作成しました。このプロジェクトに私も参加し、バンクのコンパイルを担当しました。ローランド創業者梯郁太郎氏の息子さんと一緒でした。息子さんと一緒に、ブラジル国内のさまざまな都市を周り、ローランドのサンプラー用にブラジルの伝統的なサウンドを録音しました。そして、1990年までに、MTVロンドンで働いていたジョン・クラインという人物に出会いました。彼はアメリカ人で、MTVブラジル開局のためにブラジルにやって来ていました。それで、彼とMTVの立ち上げに従事しました。こういういきさつで、ブラジル初のMTVビデオ・クリップ用の音楽を私が作ることになったのです。 あなたは、ブラジルのポピュラー音楽にダンスホールのリズムを持ち込んだことでも有名です。この組み合わせは、私たちが現在イメージする「ブラジリアン・サウンド」にとって重要なものとなっています。 私にとっての初レイヴは、ジャマイカのキングストンでの「Dancehall Ragamuffin」と呼ばれるレイヴでした。1993年のことです。当時はある種のエレクトロニック・ミュージックが流行っていて、イギリス、インド、ジャマイカでも同時に流行していました。バングラと呼ばれるジャンルです。ジャングルが流行る前の話です。ダンスホールと呼ぶ人もいますが、インドにそのルーツを持っています。当時、私はこれらの音楽がとても気に入っていました。ダンスホールに深入りしていましたが、キングストンでのレイヴに行った後、このサウンドに夢中になりました。 そして、このサウンドを気に入っている他のブラジル人に出会いました…。それがスカンクというバンドです。彼らはキャリアをスタートさせたばかりでしたが、気が合いました。彼らはこのサウンドを使いたいと思っていましたが、うまく活用するためのテクニックが必要でした。そこで私がプロデューサーとして参加することになったのです。あるジャマイカ人の友人と共に、彼らのファーストアルバムから1曲をリミックスしました。ちょうどジャングルの最初の波が押し寄せたときで、プロディジーが「Out of Space」で人気を博していた頃です。私たちがリミックスしたのは「Baixada News」という曲で、ジャングル・リミックスでした。スカンクがそれを気に入って、2枚目のアルバム「Calango」でも私を起用しました。リオに行き、ブラジル最高峰のスタジオのひとつNas Nuvens(「雲の中」の意)で、2カ月にわたってこのアルバム制作に完全集中しました。ダンスホールとレゲエの影響が強く、結果として非常にブラジル色の強い作品になりました。ブラジリアン・ヴァイブとレゲエとダンスホールを組み合わせた、かつかなりエレクトロニックなものです。このアルバムは1994年7月にリリースされ、120万枚を売り上げました。当時のブラジル市場と米国市場を比較して、米国市場で換算すれば、これは1000万枚に相当するセールスです。ラジオ・ヒットも6曲に上り、大ヒットとなりました。 ミックスダウン中のスカンクとスタジオにて(1996年) この後、ハウス・ミュージックにたどり着く前にドラムンベース時代に突入するわけですが、外部の影響を受け入れ、ご自身のコンテキストにそれらを当てはめ、次のインスピレーションへと移行する、というのが順序立てて行われているように思えます。 ブラジルでは、私たちは共食いなのです。ブラジル人は文化における共食いを行っています―食べて、それを吐き出しているのです。何においてもそれは同じです。私たち独自の方法で、食べ、消化し、吐き出しているのです。ドラムンベースとボサノヴァ、ダンスホールとブラジリアン・ヴァイブ―こうして私たちは、ハウス・ミュージックをファンキーなサウンドでスタートさせ、ブラジル的ヴァイヴと融合させたのです。音楽的にではなく、歌詞を用いて。2014年の今やブラジル人の多くが英語を話すようになりましたが、90年代、2000年代初頭は状況は異なっていました。 私たちにとって、言語を用いてブラジルの現実を音楽に反映させることは常に重要なことなのです。私たちは、あらゆることに関わりたいと思っています―だからこそ、ブラジル的解釈での作品づくりを好み、国外での評判にはあまり関心がないのです。国外で人気が出れば、それはすばらしい。出なければ、それはそれで問題ない。ブラジル人は、「次はヨーロッパで、そしてアメリカで…」という風にはあまり考えません。イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ…これらの国は何らかのつながりがあります。ブラジルにはそういったコネクションがありません。ブラジルは、ブラジル人のことがすべてです。ポルトガルとの何らかつながりがあってもおかしくないのですが、それがありません。ブラジルはブラジルだけなんです。 マローテとモジュラー(2011年) 今、プロダクションで注目していることは何ですか?20年にわたるキャリアを重ねても、サウンドについて学ぶことはあるとお考えですか? 今はディストーションにとても興味があります。フランスでMix With The Mastersのコースを受講してきたばかりです。ブラック・キーズやアークティック・モンキーズのプロデューサー、チャド・ブレイクと一緒に学びました。彼は天才ですよ。1週間にわたって、彼と、カニエ・ウェストのミックスダウンを行っているマニー・マロキンというすばらしいエンジニアと過ごしました。 彼らの持つテクニックは、あらゆる種類の音楽に応用できるものです。リバーブを少なく、ディストーションを多く使用するというアイデアは、ここで得たものです。リバーブの代わりにディストーションを使用するとは、アンビエンスとしてディストーションをとらえることです。コンプレッサーを、ただ圧縮目的で使用するのではなく、特性を加えるのに使用するのです。1176を使用して個性を与えるようなものです。バスケットボールに爪を立てるときのようなサウンド、ひび割れたような立体的な感覚―それが今私が夢中になっているものです。 Live set from VCO Rox, Marote’s latest project 興味深いコンセプトですね、リバーブ・プラグインをシェイピングするのではなく、倍音を使用して空間感覚を生み出すというのは。リバーブ・プラグインはどうしても人工的な感じのサウンドになりがちです。 私にとってそこはとても重要な部分です。もうひとつ、常に興味があるのは、グルーヴをとらえるということです。どのアーティストと仕事をするときも、楽器やテイクに関係なく、私はあらゆるものを動かしています。クリップをナッジしてみたり―いつもワーピングするわけではないですが、フレーズをずらしてみたり。25年にわたる世界のヒップホップ・カルチャーの歴史があり、たとえヒップホップを制作しているのではなくても、その影響、そのグルーヴからは逃れられないと思います。ロックがそうであるように、ヒップホップももはや私たちの一部なのです。 VCO Rox...

Anton Maskeliade:ジェスチャー・ウィザード

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Anton Maskeliade:ジェスチャー・ウィザード

音楽に夢中になり、音に合わせて体を動かす ― 誰にも覚えがあることでしょう。通常、「ダンス」と呼ばれるそれは、音楽のリズムとサウンドに合わせて体を動かすことを指します。しかし逆に、体の動きで音楽をコントロールするとしたら? モスクワを基盤に活動するミュージシャンAnton MaskeliadeことAnton Sergeevは、ジェスチャー・コントロールをベースにユニークなライブ・ショーを構築しています。Antonは、LEAP MotionコントローラーとAbleton Liveを使用して手の動きで音楽をコントロールします。LEAPを使用した操作について、Antonに話を聞きました。 LEAP Motionを使用したパフォーマンスを行うAnton LEAP使用のきっかけについてお教えください。他のコントローラーでは実現できなかったLEAP独自の機能にはどのようなものがありますか? 音楽関連のブログを読んでいて、ジェスチャー技術を使用したデバイスを見たとき、自分に必要なのはこれだと思いました。2013年11月にLEAP Motionを購入しましたが、音楽表現の可能性が一気に広がったようで、すばらしい気分でした。まず、サウンドのマニピュレートに使用してみてから、ビジュアルに使用しました。いまでは、音楽と映像のプロジェクションの両方を両手の動きでコントロールしています。ジェスチャーと体全体の動きによる表現力豊かな音楽の可能性を向上させることができます。音楽という体験は、他のすべての体験と同じように、ひとつの感覚のみに頼るものではなく、身体のすべての感覚が組み合わせられ、特異性の高い方法で見当識が保たれています。そのため、音楽とのダイレクトでフィジカルな関わりは、クリエイティブおよびアカデミックな研究においてますます重要なエリアとなっています。 LEAPを使用した操作について、またセットアップについて具体的に教えていただけますか。 ギグでは、LEAP MotionとGECOアプリ、Akai MPD32 MIDIコントローラー、Korg Kaoss Pad 3サンプラー、Ableton Live、そしてビジュアル用にResolumeを使用しています。このセットアップでは、ビデオとオーディオのストリームを同期させ、同時にコントロールすることができます。LEAPとResolumeの操作には、各ジェスチャーに専用のビデオ・エフェクトを設定しておき、Liveのオーディオ・エフェクトと同期させています。Liveではさまざまなエフェクトを使用していますが、主にLiveのリバーブ、ディレイ、ディストーション、さらに数点のVSTを使用しています。ひとつひとつのジェスチャーは、それぞれ独自のノイズやサウンド・エフェクトとプロジェクションを生じさせます。Kaoss Padは、声をループさせたり、ビートボクシング的なもののライブ演奏に使用しています。 車の後部座席で演奏するAnton ジェスチャー・コントロールがサウンドに与えるものとは何でしょうか? エレクトロニック・ミュージックのギグというと、覇気のないアーティストがオーディエンスに姿を見せないようにラップトップやフェーダーの背後に隠れているのが典型です。正直、退屈です。こういうのは好みません。私は、魅力的なショーを上演したいんです。創造の手段を広げたいと思っています。ギグの間、私はある人生を生きています。自分が魔術師のように感じられる瞬間です。音楽を形あるものとして扱うのは、信じられないほどすばらしい心地です。LEAP Motionが、これを現実のものにしてくれるのです。 Antonについてさらに詳しく: Bandcamp Facebook YouTube VK

Session Victimによるハウス・ミュージック・ライブ・パフォーマンス

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Session Victimによるハウス・ミュージック・ライブ・パフォーマンス

ライブ・パフォーマンス(または、スタジオやリビングでの一人セッション)を行ったことがある方なら、「これだ!」という演奏ができた瞬間や、我を忘れて演奏に夢中になる感覚に覚えがあることでしょう。Session VictimのHauke FreeとMatthias Reilingは、Resident Advisorの「RA Sessions」シリーズ用のスタジオ・セッションでの「Never Forget」のパフォーマンス中にまさにその状態にありました。スムーズなコード、過ぎ去ったクラシックなクラブ時代のサンプル・ボーカルの断片、ファンキーなベース・ラインで、Session Victimがリラックスしたハウスの旅へと誘います。 RA Sessionsシリーズから、インスピレーションあふれるビデオをもうひとつご紹介。KiNKがLiveと多数の小型ハードウェアを併用した演奏を披露しています。 Session Victimについてさらに詳しく: SoundCloud Facebook

未聞のブラジル

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未聞のブラジル

ワールドカップ2014開催でブラジルに注目が集まっていますが、Abletonでは、この機会にブラジルの過去と現在の音楽情勢に光を当ててみようと思います。バラエティに富む国民性、広大な国土を持つブラジルの音楽はもちろん多様。ブラジルの現在の音楽シーンにはさまざまなエッセンスが注ぎ込まれ、シーンを豊かなものにしています。3回にわたるこのシリーズでは、過去の革新的なブラジル音楽、ベテラン・プロデューサー、ドゥドゥ・マローテのインタビュー、ブラジルのアンダーグラウンドで注目を集めている新進アーティストについてご紹介します。 まずは少し記憶をリフレッシュしてみましょう。サンバとボサノヴァをご存じない方はいないでしょう(少なくともドラムマシンのプリセットとして)が、近年ではバイレファンキや60年代後半に盛り上がりを見せたトロピカリアがダンスフロアに進出するようになり、北半球の人気DJのプレイリストにも見られるようになりました。この記事をご覧になっているということは、1)エレクトロニック・ミュージックに興味がある、2)スタジオ・テクニックに興味がある、3)スタイルを革新したい、あるいは上記のすべてにあてはまるのではないでしょうか。これを念頭に置き、Abletonお気に入りのブラジル音楽を60年代、70年代、80年代からピックアップしてみました。ブラジル音楽への固定観念を覆すセレクションになっていると思いますので、どうぞご覧ください。 ブラジルのエレクトロニック・ミュージックの草分け、ジョルジ・アントゥネスから始めましょう。1961年、19歳のとき、彼はエレクトロニック・ミュージックの先駆者カールハインツ・シュトックハウゼンとゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒのコンサートを体験します。多いにインスピレーションを受けた彼は、両親の自宅にスタジオを設置。数台のオープンリール・テープレコーダーと手製ののこぎり波発生器がスタジオ機材でした。それから数年の間に、アントゥネスはテープを結合したり、段ボール箱、プラスチック製の容器、ドラム、テルミン、テープエコー、リバーブ、ピアノやサウンド・エフェクトの録音素材を作品に使用するようになりました。 1969年の作品「Auto-Retrato Sobre Paisaje Porteño」は、ブラジルの歴史そのものをミュジーク・コンクレートの形式で表現した見事な楽曲となっています。ジャングルの喧騒のようなサウンドから始まり、アンティーク・ピアノの録音素材を細かくカットして作成されたループがそれに続きます。次第に、これらのパターンははつらつとしたエレクトロニックのリズムと融合し、どことなくテクノとポルカを思わせるサウンドになります。驚きなのは、これが開始からわずか3分での出来事であるという点です。 ジョルジ・アントゥネス - Auto-Retrato Sobre Paisaje Porteño(1969年) 1960年代終盤までに、(ビートルズが牽引してきた)音楽におけるポピュラーとアヴァンギャルドの組み合わせに対峙するものとして、ブラジルではトロピカリア運動が盛り上がりを見せるようになりました。このムーブメントの折衷主義的要素を最もよく現しているのが、サンパウロのバンド、ムタンチスでしょう。彼らのレコードは、ロックの楽器構成、ボーカルのハーモニー、スタジオ・エフェクトを独特のアレンジに融合させた作品となっています。 下のビデオでは、トロピカリアを代表するミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが書いた作品「Panis et Circenses」をムタンチスが演奏しています。ビデオで演奏されているバージョンはスタジオ録音バージョンに比べればサイケデリック感は控えめですが、このパフォーマンスは、60年代の特徴を余すところなくとらえたものとなっています(ギターやベストに注目です)。 ムタンチス - Panis et Circenses(1969年) ハードロックバンド、キッスのペルソナのアイデアがどこから来たのか気になったことはありませんか?実は、「ビルボード」誌に掲載されたブラジルのバンド、セコス・イ・モリャードスの全面広告からを盗作したのだという根強い噂があるのです。1973年、セコス・イ・モリャードスは母国ブラジルでデビュー・アルバムを100万枚売上げ、さらに大きな利益をもたらすであろう米国市場への参入を計画していました。残念ながらそれはならず、ブラジルでの大成功にもかかわらず(リード・ボーカルのネイ・マトグロッソは現在も活動中)、セコス・イ・モリャードスは南アメリカ諸国以外ではほとんど無名のままとなっています。 1973年にブラジルのテレビ番組でリップシンクするセコス・イ・モリャードスの「Sangue Latino」をご覧ください。このクリップでは、ネイ・マトグロッソの比類ない歌声と、ジーン・シモンズたちのインスピレーションとなった(かもしれない)メイクアップをご覧いただけます。 セコス・イ・モリャードス - Sangue Latino(1973年) マルコス・ヴァーリは、人気ソングライターおよびシンガーとして1960年代中盤にそのキャリアをスタートさせました。これぞボサノヴァというチューンの「Samba de Verão(邦題:サマー・サンバ)」を作曲後、ヴァーリは1970年代初頭により冒険心のある一連のアルバムをリリースします。1973年発表の「Previsão do Tempo」は、そのジャズフュージョンな雰囲気と、フェンダー・ローズ・ピアノとハモンド・オルガンの多用で特に目を引きます。このレコードでのヴァーリのバックバンドは アジムスで、キーボーディストのジョゼ・ホベルト・ベルトラミがアレンジにMinimoogとARP Soloistを惜しみなく使用しています。メロディに優しく流れるシンセが「Mais do Que Valsa」を単なるワルツ以上の何かに昇華させています。 マルコス・ヴァーリ - Mais do Que Valsa(1973年) 1960年代と70年代の音楽的イノヴェイションの豊作期後、ブラジル軍事政権の抑圧はますます強まり、1980年初頭までに、ブラジル文化の活気はそのほとんどが握りつぶされてしまいました。1980年代に実施された緩やかな文民政治への移行とともに、ブラジル音楽も目覚めのときを迎えましたが、そこから生まれたサウンドは切迫感と怒りを秘めたもので、「イパネマの娘」のメランコリーからはほど遠いものでした。 サッカー番組のアナウンサー実況や独特なリズム感覚。ブラジルのポスト・ファンクとニュー・ウェーブのいくつかの興味深い作品には、ある種の屈折した「ブラジルらしさ」が戦略的に採り入れられています。1980年代のサンパウロのアンダーグラウンド・シーンから2曲をご紹介しましょう。Vzyadoq Moeのダブアウト「Redenção」は、まるでバウハウスがサンバ・パレードを演奏したらこうなるんじゃないか…を想像させるサウンドです。 Akira S...

Mark Barrott:アイランド・ライフ

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Mark Barrott:アイランド・ライフ

世界を駆け回るミュージシャン、レーベル・オーナー、DJ、サウンド・デザイナーとして、Mark Barrottは、音楽と、そのコンテキスチュアル(かつフィジカル)な環境背景の間に生じるフィードバック・ループについてよく心得ています。イングランド北部をベースに活動していたBarrottは、現在太陽の光輝くスペイン・イビザ島に居住中。隣人には、ダンス・ミュージック界のベテランJosé PadillaやGeorge Evelynも顔を並べています。美しい南国の自然に囲まれて制作されたBarrottの最新アルバムは、「Sketches from an Island」(島からのスケッチ)とふさわしい名前が付けられています。6年ぶりのフルレングス・リリースであり、個人名でのデビュー作です。 Abletonは、故郷イギリスに短期滞在中のMarkにインタビューを敢行。アルバム、屋外のベンチに座っての作業、「イン・ザ・ボックス」で制作を行うこと、人気急上昇中の彼のレーベルInternational Feelについて話を聞きました。 “Baby Come Home” from Sketches from an Island 新アルバムからはお住まいの環境の影響が強く感じられますが、エレクトロニックなアルバムを美しい自然が広がる地域でレコーディングするというのはどのような感じなのでしょうか。 郊外というか田舎に住んでいるのですが、聞こえてくる音といえば鳥の鳴き声くらいで、交通騒音もほとんどなく、人の声もまったくといっていいほど聞こえません。まちがいなく環境はミュージック・メイキングに影響を与えると思います。私の住んでいる環境はとても静かなので、両親に会いに数ヵ月ごとにシェフィールドに戻るたび、環境騒音が大音量に感じられて、不思議な感じになります。イギリスに住む人にとってはこれが日常なのですが。カスタムの耳栓を2セット持っていて、イギリスにいるときはよく使用しています。環境騒音のレベルがとてつもないので。ベルリンもやや同じようなところがあります。ベルリンには断続的に合計4~5年住みましたが、私が今住んでいるところに比べると、喧騒はかなりのレベルです。今回制作をスタートさせた地点は、都市に住んでいたら選んだだろうスタート地点に比べると、かなり瞑想的な場所でした。 「Sketches…」制作のテクニカル・セットアップについて教えてください。 アルバムで使用した唯一のハードウェアはArturia Microbruteで、ある曲に使用しました。このアルバムで使用した機器を全部上げると、Abletonを起動したMacBook Pro、IK Multimediaのコンパクトな3オクターブ・キーボードiRig KEYS Pro、Sennheiserのヘッドフォン、ソフトウェアのオーソライズ用のiLok、そして最後にあるトラックのある箇所に使用したArturia Microbruteです。その他すべては全部Ableton内にあります。このアルバムは最後のトラックの一部分を除いて完全にコンピューター完結で制作しました。 Cover art for Sketches from an Island ヘッドフォンでアルバムをミックスされたそうですが、それによって可動性は高まりましたか? 制作ロケーションに関係なく、いつも作業はリビングでするんです。セットアップされたスタジオがあまり好きではなくて。ウルグアイでは、巨大なGenelec製モニターが設置されていて音響的にも完璧な別個のスタジオを使用していました。ミュージシャンの音楽というのはミュージシャンの生活に本質的に結びついているものだと思うので、すべてに囲まれているときこそいい音楽ができると思うんです。アルバムの大部分を作成したときにいた場所には、広々と開放的なリビングがあって、そこにセットアップしました。新居には大きな庭があるのですが、そこにモダンな温室があって、その中が寝室以外の生活空間になっています。小さなキッチン、ダイニング、妻の仕事場、私のスタジオがこの温室の中にあります。自然光の入らない小さなスタジオに閉じこもるよりも、猫たちに目をやったり、夕日を眺めたり、植物を観察したりしながらここにいるのが好きです。 このアルバムのほとんどは、イビザ・スタイルの古いダイニング・テーブルでラップトップを使用して作成しました。マウスは使用していません―トラックパッドを使用する方が、コンピューターとより親密な関係を築けるし、より集中できるような気がするからです。ヘッドフォン以外で音楽を聴くことはほとんどありません。なので、すべてはヘッドフォンを通して行います。その後ステムを作成して、イングランド南部のデヴォンにいるすごい腕前を持つある男性にステムミックスを依頼します。 José Padillaのアルバム制作用に手持ちの機材を拡大する予定ですか? これまでにも何度も引用してきたのですが、「音楽技術はすばらしい趣味だが、しばしば音楽の邪魔もする」と思います。だから、再来週の金曜には、2台のiPod、Moog Minitaur、それにラックに設置した3種類のシンセを用意して制作に臨むと思います。そのうちどれくらいを(International FeelからリリースされるJosé Padillaの次アルバムで)使用するかは分かりません。とにかくやってみないと…あまり使用しないような気はしますが、正直に言うと、これらの機材の使用は楽しいと思います。父親はビンテージ車が中心の生活を送っていたのですが、それは生活の糧を得るための手段でもあり、楽しみでもありました。あたらしいシンセのうちどれくらいを実際に使用することになるかは始めてみないと分かりません。あまり使用しないとは思いますが、それでも大きな喜びを与えてくれるでしょう。 International Feelを立ち上げたとき、ウルグアイのプンタ・デル・エステにお住まいでしたね。あそこへはどういった理由で? 私たち(Markと彼の妻)は当時(ベルリンの)ハイナーズドルフにあるとても素敵な家に4~5年の賃貸契約で住んでいたのですが、さらに5年間の契約更新はしないことにしました。退居通知を出してから、ある春の日の午後、温室に座って考えました。自分たちに必要なものはなんだろう、と。インターネット、そしてたとえば医療サービス、きれいな水といったいくつかのものが挙がりました。インターネットで世界地図を見て、考え始めました。アジアにはどちらも長いこと滞在したことがあって、住みたいとは思いませんでした。オーストラリアは高すぎるし、ニュージーランドは猫の検疫法がありえないほど厳しかったので、南アメリカに焦点を合わせることにしました。ブラジルにはあまり興味をそそられませんでした。チリはありかなと思いましたが、太平洋沿岸につきものの地震や津波の問題がありました。それでウルグアイに注目したんです。2カ月後、ウルグアイを訪れて1週間滞在しました。週末にブエノスアイレスに行き、いろいろあってどたばたしているうちにウルグアイに戻り、その週に家を購入したんです。 “Hands of Love (Fingers...

Throwing SnowがPushで「The Void」をプレイ

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Throwing SnowがPushで「The Void」をプレイ

先週、イギリスをベースに活動するアーティストThrowing SnowのデビューLP「Mosaic」がHoundstoothからリリースされました。彼のサウンドを端的な言葉で表現するのは困難ですが、新アルバムは、多数のコラボレーションによる、感情に訴えるトラックとベースの効いたシネマティックを包含したインパクトのある作品となっています。そのうちのひとつ、ボーカリストJassy Grezとのコラボレーションは、Throwing Snowが先週BBCのMaida Valeスタジオに招かれた際に披露されました。パワフルな作品「The Void」はムーディーなサウンド・デザインに富んでおり、Jessyがボーカル、Rossがコントロールを担当していますが、コントロール・ワークフローの中心をPushが担っています。Korg volca beatsに同期させたPushを使用し、ノート・モードでメロディを演奏したり、ドラム・モードでサウンド・エフェクトをトリガーする様子をビデオでご覧ください。 気に入ったら、ハードウェア・ドラム・マシンをPushでプレイする方法について学ぶのもよいでしょう。Mosaicのその他のトラックは下からお聞きいただけます。

インプット/アウトプット: Sculpture

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インプット/アウトプット: Sculpture

シリーズ「インプット/アウトプット」では、Abletonコミュニティに属するプロデューサーのスタジオを訪ね、彼らの制作プロセスに取り入れられるインスピレーション、テクニック、技術と、そこから生まれる最新の音楽作品に光を当てていきます。 Sculptureは、アニメーター/ビジュアル・アーティストのReuben Sutherlandと、ミュージシャン/プロデューサーのDan Hayhurstからなる、ロンドンを拠点に活動するデュオです。デジタルとアナログ両方のメディアを活用し、触知的なアプローチとバーチャルなアプローチを同等に採り入れたSculptureがこれまでの6年間に発表してきたサイケデリックでイマーシブなオーディオ・ビジュアル作品は、プロジェクトの誕生以来、その「とにかくやってみよう」という心意気、楽しむことをよしとする感覚を失っていません。下のビデオで、Sculptureの極めてユニークな手法をご覧ください。続いて、Oneohtrix Point Neverによるブルックリン・ベースのレーベルSoftwareからリリースされた「Membrane Pop」に合わせて行われたDan Hayhurstのインタビューをお読みください。 フランクフルトのザースフェー・パビリオンでライブ・ショーを行うSculpture Sculptureを「視覚音楽的凝集体」と言及されていますが、これについてご説明いただけますか? 「オーディオビジュアル・プロジェクト」と呼んでもいいのですが、もう少しロマンティックな表現にしたくて。知覚/感情の刺激というものを、あらゆる感覚を駆使して検証することです。ビジュアルもオーディオも同じく重要であり、互いを満たし合う間柄です。「凝集」という言葉は、私に実体を想起させます。単なる部分の集合ではない、生命体のようなものです。ポリマーやロボットのように加工により作られたものもあれば、有機体もあります。また、これは一時的な状態で、再び消散したり、再構成したりするものかもしれません。 デュオ結成のきっかけは? ロンドンの巨大なウェアハウスで隣人同士だったんです。そこは、人が住めるように最小限の手を加えて倉庫をアパートに改装したもので、壁が薄くて、冬は凍るように寒くて、夏はまるで温室みたいなところでした。Reubenはフェナキストスコープなどの円板とビデオカメラを使ったアニメーション技術を扱っていたのですが、私は自分の作るちょっと変わった音楽で、この歪んだ住環境をさらに変わった場所にすることに貢献していました…壁から漏れる音が、早い時期からReubenの脳のパターンに何らかの影響を与えていたのかもしれません。念のために言っておくと、彼はすでにこのワームホールにかなり夢中になっていました。一緒にプロジェクトを始める1年ほど前に知り合いになりました。共通点があることは確かだったので、パフォーマンスを計画することでコラボレーションの可能性があるかどうか検証しようと考えました。あらかじめ一緒に準備することはせず、互いが何をするつもりか知らない状態でステージに上がり、同時にパフォーマンスを行いました。なので、素材自体がつながりの形成につながっています。並置、連関と参照の枠組み―異なる感覚要素同士の相互作用です。 ReubenのデザインによるSculptureのピクチャー・ディスク それぞれのメディアへのアプローチに共通する点は? デジタルとフィジカルの対話です。フィジカルな世界における自己表現のアルゴリズム/プロセスです。Reubenの場合、カードに印刷された数百のアニメーションからなるライブラリがあるのですが、今ではほとんど制御不可能な数になっていて、まるで神経系のように常に成長を続けています。これらは、PhotoshopやAfter Effectsで生成してからこの触知メディアに転写されています。私は、アナログ・テープやハードウェア機器(サンプラー/CDJデッキ)を使用した物理的なカットアップを、オーディオの分解と再構成用のデジタル技術と組み合わせていて、デジタルにはほぼ100%Liveを使用しています。 「デジタルとフィジカルの対話」というお話がありましたが、これはどのように制作プロセスの一翼を担っていますか?たとえば、新アルバムの制作においてはいかがでしょうか? 私はどちらかというと、独立した「トラック」という形態ではなく、いろんな置換で再結合が可能な要素を使用する傾向があります。リズム、サウンド、ハーモニー要素、トーン、パーカッションなどのライブラリを構築しています。どこかで見つけた1955年録音の素材など、まったく異なる時代に作成されたものもあれば、自分で作成したものもあります。5年前、先週、今日の午後―作ったことすら忘れているものもあります。さらにこの「ライブラリ」は複数にわたるテープ・リール、テープ・ループ、サンプラーに保存されています。正直、かなり混沌としています!これらのソースをある時点でLiveに録音し、Liveの出力をさまざまなテープ・レコーダーに録音したり(テープ・ループを作成するため)、Korg ES1やTeenage Engineering OP1などのサンプラ―に録音します。 古いテープに保存されている60年代の録音物を無作為に選んでLiveに取り込み、それをMIDIデータに変換して Drum Rackでサンプルのトリガーに使用することもあります。短い「ヒット」の場合もあれば、数メートルにわたるテープ分のレコーディングである場合もあります。デバイス・チェーンは、だいたいPitch > Arpeggiator > Random > Scale > Simplerです。それに、ピッチのランダマイズ率、サンプルのスタート位置、アルペジオのレート、サンプルの長さなどのコントロールにマクロを使用します。コントロール・サーフェスにはAPC 40を使用しています。マクロにクリップ・オートメーションも使用しています。こうすることで、あらゆる素材をすばやく細分化し再配置することができます。 最後に、再結合可能な要素からなるコレクションをLive クリップ/セッション/アレンジメント、テープ・ループ、テープ・リール、カセット、CDR、ハードウェア・サンプラーといったさまざまなメディアに拡散させます。スタジオとライブの両方で継続的にさまざまな順列を試していくうちに、最終的に「トラックの完成形」へとまとまっていきます。ここまで来たらLiveに録音して、それを使用して編集したりアレンジします。 ややランダムにレイヤーすることもあります。たとえば新しいLPに収録された作品では、あるギグを録音したものを最終アレンジにランダムに落とし込んでいき、タイムラインに沿っていくつかの要素が互いにうまくマッチするようにしました。新しいつながり/相関を生み出す、予期せぬ同時性というアイデアが本当に気に入っているんです…。 Sculptureの「Plastic Infinite」用に作成されたビデオ。リリースされたピクチャー・ディスクがフィーチャーされている ライブでのセットアップについて教えてください。Reubenとダイレクトに意思疎通することは多いのでしょうか?それとも、同じゴールに向かって併走するような感じですか? どちらのセットアップも、ステージに上がったどのミュージシャンがやるように、互いの動きに対応できるようなフレキシブルなものになっています。繰り返されることで「固定」となったいくつかの音楽についても同じです。一方で、まだ予備段階という状態のものもあります。Reubenはアニメーション・カードのライブラリを用意していて、レコード・プレーヤーとその上に取り付けたビデオ・カメラを使ってこれをプレイします。ビジュアル・ターンテーブル主義ですね。 彼はいくつかのアニメーションを準備していて、特定の音が聞こえたらそれを使用しようという心づもりではいますが、ほとんどの場合予期しない同時性からアクションが起こることが多いです。私たちの脳は、知覚情報につながりや関連性を察知します。それに、ステージではたくさんの情報が非常に速く生成されています…非常にエネルギー度の高いイベントです。とはいえ、6年間一緒にやってきていますから、何をしたらうまくいくかということが分かっています。完全にランダムというわけではありません。 ライブではコンピューターを使用しません。いつも、コンピューターが生成した素材を別のメディアに転送します。これをするのは、コンピューターやスクリーンに注意を削がれるような気がするからです。なので、モジュラー・インストゥルメントのように動作するデバイスをいくつか使用します。まあまあのところまではうまく操作できるのですが、完璧ではないので、予期しないことや意図しなかった迂回がたくさん生じます。オープンリール・テープレコーダー(テープ・ループ用)、CDJデッキ、数台のハードウェア・サンプラー(Korg ES1/Teenage Engineering OP1)、ウォークマン、エフェクト(リング・モジュレーション、エコー、ディストーション)を使用していますが、 ライブでは多少制御不能な状態になります。2人とも、秩序とカオスの間のバランスがとれた状態を追い求めているような感じです。Liveに素材を取り込んで試行錯誤して予期しないような方法で新しい形を作り出すという手法には、テープを使って行っていた手法が反映されています。エモーショナルで美的な反応を引き起こし、普通ではたどり着けない場所に導いてくれる何かを探しているのです。純粋な「音楽制作」の観点から見れば、人々に喜びを与えるよう形でさまざまな音響特性を組み合わせていきます。またこれは、さまざまな時代と関連づけて考えられるサウンドと美的感覚を織り交ぜることでもあります。私たちは、インターネットそして我々の感覚器に押し寄せる膨大な情報によりこういった区切りが打ち砕かれつつある時代を生きています。私たちは常時情報を編集し、処理し、整理しています。我々の現実の認識というものはこういった情報から作り上げられたものです。これらを題材にするのはなかなか楽しいですよ。 Sculptureの「Membrane Pop」はSoftware Recording...

Audioverdrive: Liveでリアルタイム・ゲーミング

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Audioverdrive: Liveでリアルタイム・ゲーミング

デベロッパーでありミュージシャンでもあるNils Iver Holtarのゲーム経験は、80年代後半のファミコン作品をはじめ、印象的なサウンドトラックで彩られています。修士論文を書くにあたって、Nilは、iPadアプリ「Audioverdrive」のアイデアを得ました。Ableton Liveと双方向で通信し、ゲーム内のアクションによりサウンドトラックをリアルタイムで作成する、宇宙が舞台のシューティング・ゲームです。Abletonは、Nilsにゲーム・コンセプトと今後について話を聞きました。まずは、「Audioverdrive」のゲームプレイを紹介したデモをご覧ください。 「Audioverdrive」を論文の題材にすることになったきっかけは? 修士論文につながるプロジェクトの多くは、ゲームにおける従来と異なる手法でのオーディオと音楽の使用と実装に集中していました。論文では、これらの実装をより即時的で作曲のワークフローに合わせたものにする方法を模索したいと考えました。 「Audioverdrive」におけるゲームと音楽の通信についてご説明いただけますか? 実は非常にシンプルなんです。すべての通信にはOSCメッセージが使用されています。必要なのは、マッピング・ソフトウェアを実行するコンピューターとLiveがAudioverdriveを実行するiPadと同一のネットワークにあることだけです。マッピング・ソフトウェアがMIDIのデスティネーションとなり、Liveがこのソフトウェアに直接MIDIを出力します。デモ・マッピングで私がやっていたのは、ノートオンMIDIメッセージをさまざまなゲーム内のイベントにマッピングすることでした。使用しなかったパラメーターもたくさんありました(プレイヤーX/Y座標など)が、これはできることがたくさんあって手に負えなくなったからです。 ゲームにおけるあなたの経歴について教えてください。また、音楽における経歴は? 初期に作成したゲームはQBasicでプログラムしていました。変なゲームばかりでした。特に記憶に残っているのは、コンピューターが異様に強い、少ない装備でUFOを防御するゲームです。その後RPG Makerを数年使用してから、一般的なプログラミング言語を学びました。実はまだひとつも完成させたことがないんです。リリースできればいいなと思っています。 音楽制作はプログラミングに並ぶ私の情熱の対象です。これまで、ステージ・ショー、短編映画、独立作品など、さまざまなプロジェクトに参加してきました。ほとんどはノルウェーでの活動です。シンセ・ロック・バンドUltra Sheriffでパフォーマンスと作曲もしていて、この活動を通じてLiveに出会いました。 現在は、フリーランス・プログラマーとしての仕事とうまくバランスを取るよう努力している最中です。今手がけているプロジェクトのひとつが、Preliminal Gamesから近日リリース予定のモバイル・ゲーム「Fractured Skyline」のサウンドトラックです。もうひとつは、Logic Artistsのスパイ・スリラー「Clandestine」のサウンド・デザインとオーディオ実装です。 Nilsのサウンド・デザインが使用されている「Clandestine」予告版 Liveユーザー向けのAudioverdriveのリリースの予定は? このセットアップで作業する楽しさを知ってしまったからには、もっとたくさんの人々に試してもらうチャンスを提供しないわけにはいきません。Liveユーザーには才能豊かな面々が多いので、最高のオーディオ・ゲーム・デザインが生まれると思います。今は、最良の方法について検討しているところです。現在のセットアップでは、iPadとOS Xコンピューターが必要です。マッピング・ソフトウェアのユーザー・エクスペリエンスをさらに洗練させてこのままリリースしてみることもできますが、それだと現在のゲームとパラメーターしか操作できません。マッピング・ソフトウェアは実際のところかなり包括的なものになっていて、理論上では、OSCメッセージを正しく解釈し送信できるゲームであればどんなものにも適用可能です。ですので、どのようなゲームにも統合可能でき、可能性を広げるAPIをリリースするのも一策かなと思います。このようなツールを使って皆がどのようなことをするのか、ユーザーがどのプラットフォームを好むのか、非常に興味があります。 今後のバージョンのAudioverdriveのコンセプト画像 スタンドアロン・バージョンのAudioverdriveのリリースの予定は? ビデオで紹介したゲームのことでしょうか?はい、ただ名前は変わるかもしれません。まだマッピング設定のプロトタイプの作成中なのですが、数々のレベルやボス戦を含む、非常に楽しめるゲーム・デザインになると思います。しっかりとした形になったら、スタンドアロン・バージョンとしてパッケージ化するつもりです。今のところこのゲームはサイドプロジェクトなので、どのくらい時間がかかるのかははっきりと言えませんが。

MUTEK 2014でのロバート・ヘンケ、リッチー・ホウティンのトークをビデオで

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MUTEK 2014でのロバート・ヘンケ、リッチー・ホウティンのトークをビデオで

毎年モントリオールで開催され、最新のエレクトロニック・ミュージック、ニュー・メディア、文化を紹介する一大イベントMUTEKが今年で15年目を迎え、Abletonも15周年記念となる今年のイベントに参加しました。Abletonは、アーティスト・トークやPushのハンズオン・ワークショップを行うAbleton Loungeを開設。MUTEKの厚意により、行われたトークのうち2つをここでご紹介します。 まずは、ミュージシャンであり、研究者でもあり、また最古参のAbletonデベロッパーでもあるロバート・ヘンケ(Monolake)とMUTEKの共同創始者アラン・モンゴーとの対談をご覧ください。トピックはロバートの最新プロジェクト「Lumière」から音楽技術の発展にわたっています。 Plastikman名義でのテクノのパイオニアとしての活躍から、伝説となった「デッキ、エフェクト、909」によるDJセット(今はそこにPushが加わっています)まで、リッチー・ホウティンは最先端の音楽テクノロジーの実情を正確に把握するミュージシャンとして20年にわたりその地位を確立してきました。MUTEKでリッチーはDJ Tech Toolsのケン・テイラーと対談し、現在進行中の意欲的なPlastikmanのライブ、Space IbizaでのENTERクラブ・ナイト・シリーズ、スタジオでの制作用セットアップについて語っています。